はじめに
今回のデジタルハリウッド大学の研究紀要論文発表会は、久しぶりにリアル会場が設けられて、駿河台キャンパスで開催された。
残念ながら私自身は所用で足を運べず映像での視聴となったが、会場が映されている状況を見た限り、やはりフェイスツーフェイスを伴う研究発表は、質疑応答やちょっとした隙間時間でのやり取りといったところのレスポンスやヒート感が高い様子が感じられた。
もちろんオンライン開催のメリットも捨てがたいのだが、現在の技術では、知的興奮というか脳のシナプスが一触即発の状態を引き起こすような機会は、残念ながらまだまだリアルで顔を合わせる状況の方が一段上にあるように感じられた。
昔、とある大学教授が「学会発表は終了後のロビーに出てからが(知的交流の)本番」と言ったと聞いた事があるが、実際にそういうカオスな状況の中でこそ、インタラクションによる創発が生じやすいというのは間違いないだろう。
また、こういったエモーショナルな観点におけるテクノロジーの利活用は、それこそデジタルハリウッド大学が本領を発揮する分野だと思うので、オンラインにおける創発の触媒となるような「これまでに無いナニカ」が、是非ここから登場してくることを期待したい。
研究紀要の内容そのものは、公開されている『DHU JOURNAL Vol.09 2022』を参照頂くとして、当日、発表者自身によるプレゼンテーションのあった内容について、ここで簡単なコメントを述べさせて頂きたいと思う。
「本学の紹介と大学院の入試説明会」 木原 民雄 教授(編集幹事)
まず最初に、研究紀要の編集幹事であり、本発表会の司会でもある木原教授から、デジタルハリウッド大学と大学院の簡単な説明があった。
改めて聞いてみると、デジタルハリウッド大学の面白いところは、まず2004年に2年間の修士課程である専門職大学院が設立され、その後に四年制の学部が立ち上がったというところだ。
これについては後の発表の中でも触れられているが、デジタルハリウッド大学が「株式会社立」というユニークな運営形態を取っていることのみならず、約28年前の当初のデジタルハリウッド株式会社の創立から、杉山学長が抱いていた「そもそも大学院を創りたかった」という思いに基づいているといえる。
そして念願の大学院設立からすでに19期が経過して、様々なエンターテイメント業界で活躍している第一線の人材を輩出していることに加え、現在では学内に「メディアサイエンス研究所」というバーチャルな研究組織も擁し、ますます研究機関としての地歩を固めつつあると感じられる昨今である。
また、大学院に在籍している学生の約1/3が社会人院生である(ちなみに、残りは約1/3が学部生からの内部進学で、約1/3が海外からの留学生だそうだ)ことからも伺えるが、「社会人が働きながら修士の学位を取得できる」という仕組みを確立していることは特筆に値する機能であり、重要な役割だと思う。
なぜならば、デジタル化の進展に伴って社会の動きが一層ダイナミックかつスピーディーになっている今日、新しい物事への「学び」が生涯に渡って必要とされていく時代が訪れているからだ。昔のように大学を出て就職就労したら、後はその業種での経験を積んでいくだけ、という時代は過ぎ去った。
そういった社会変革の中で、創立時から社会人の学びにフォーカスしてきたデジタルハリウッド大学大学院の存在意義と強みは、今後ますます増していくことと思う。
特に、特徴的なスタイルとして、研究テーマを教員が決めて学生に指導するのでは無く、テーマそのものを学生が発意して持ち込み生み出すことを前提にしていることや、過去の経験と全く無関係なテーマでも構わないとされていることは面白い。何しろ、入学時に研究テーマ(と同時に指導教員もだが)が決まっていなくても良いとされているのだから破天荒である。
要するに、デジタルハリウッド大学大学院という研究機関は、新しいコト、面白いコト、他で出来ないようなコトが学術研究できれば良いのであって、「成果ありき」を目指して何かに取り組む場では無いということだろう。
しかし、これを大学院では無く、企業が新しいサービスや製品の開発に取り組んでいると置き換えてみれば、その必然性が良く分かる。「達成可能な出来上がり範囲」を想定した上で取り組む研究が、これまでに無いものを生み出す可能性が低いことは自明だからだ。
その上で現在は、SEAD(サイエンス、エンジニアリング、アート、デザイン)と呼ぶ4つの領域を、「人文系、芸術系、理工系の学識、技術、能力が相互作用する創発的学究領域」と規定して、カリキュラムに落とし込んでいるそうだが、それらについて学ぶだけで無く、実践する、カタチの有るものとして世の中にリリースすることを目指すことを推奨しているという。
しかもポイントは、これらの4つの領域について、自分の得意分野を選んでフォーカスするというのでは無く、「全ての領域に手を出してみる」というコトを推奨しているところだ。これは、研究者自身が自己の内部において「セルフ相互作用」を生み出すという観点からも、高い効果が期待できる取り組み方だろう。
また、今年度は「デジタルコンテンツ総合研究」と「デジタルコンテンツの理論と実際の架橋」という科目が新設され、さらに来年度からは「デジタルマーケティング」「メディアプロデュース」「メディアアート特論」「デジタルコンテンツ研究基礎」が設置される予定だという。
まさに、各学生の頭の中にあるモノを世の中にリリースするために必須の科目テーマのようにも思え、「世界を幸せにするひと」をどれほど生み出していけるのか、エンターテイメントのアカデミアとしてデジタルハリウッド大学大学院の今後の展開がますます楽しみになってきた。
「研究紀要の紹介と研究論文発表会の進め方」 木原 民雄 教授(編集幹事)
ところで、この研究紀要に掲載される内容は、「論文/研究ノート/報告/書評」に大別されている。木原教授より説明があったが、今回の研究紀要では、このうち「論文」の掲載数がゼロである。つまり、研究紀要に応募された論文が全て査読を通じて不採録になったということだが、これは私のような部外者の目からみると、決してマイナスの状態では無い。学内の方々の気持ちとしては忸怩たるモノがあるかもしれないが。
個人的に研究開発の現場をいくつか眺めてきた経験からすると、論文の発表数にしろ引用の多さにしろ、はたまた取得特許の数にしろ、年度ごとに「波」があることは当たり前である。むしろ、そういったことの数字のみを評価基準にして「年間XX件の論文誌掲載」などをノルマのように扱っている研究機関は、粗製濫造の温床になりがちだとさえ思う。
その点では、今回の研究紀要に「論文」の採用が一本も無かったことは、残念ではあるが、デジタルハリウッド大学が真っ当な研究機関として正しく機能していることの証左だと思える。それでも、研究紀要の中には、まだ論文にはなっておらずとも、新しい視座の提示や概念の構築、社会実装への取り組みなどに関する発表が多数見られるし、それらの中から次回には深掘りされた論文が生まれてくるだろうと想像すると、逆に楽しみでもある。
「株式会社立」という独自性の高い存在であるが故に、多くの学校法人と較べて補助金に頼ることが少なく、それが逆に「成果ノルマに追われない純粋なアカデミア」を成立させている大きな要因なのでは無いか?と感じたのは、私個人の穿った考え方かもしれないが。
さて、研究紀要の内容に話を戻すと、特に「らしさ」を感じさせるものとして、通常の研究成果や各種アイデアの発表のみならず、教職協働の理念に基づく学校職員(教員では無い、いわゆるスタッフ系の方々)による発表や発信が必ず含まれ、また、それらが非常に興味深いという点が挙げられる。
これも「株式会社立」の大学ならではと思えるが、そうしたスタッフ系の方々の自主性や創意工夫への取り組みの熱さと厚さには目を見張る。私自身は、そうした組織運営や学生への対応等々には門外漢なのだが、仮に学校運営に関わる方にとってみると、この研究紀要はアイデアとノウハウの宝庫と言えるのでは無いかと、そう思わされるのだ。
「デジタルハリウッドの「中の人」たち」 楢木野 綾子
楢木野さんは今年度から校友会の事務局長に就任されたそうだが、これまでのおよそ26年間近くにわたって、デジタルハリウッドのスタッフとしてその変遷を見続け、その真っ只中で活躍してきた。その楢木野さんが、デジタルハリウッドの変遷を、黎明期、再生挑戦期、進化跳躍期と区分けしてた特別寄稿としてレポートされた。
大学院そして大学を設立するということが如何に大変な話か、また、それに携わるということがどれほど希有な経験であるかは、是非、研究紀要に掲載されている楢木野さんのレポートを読んで頂きたいが、個人的に興味深かったのは、「デジタルハリウッド」という杉山学長の概念が、どのようにして社会にカタチを築いてきたのかという「実践」にまつわる苦労話である。
楢木野さんがデジタルハリウッドに入社したのは1996年だそうなので、世は20世紀の終わり、AmazonやGoogleが設立されたドットコムバブルの真っ最中だった。楢木野さんの話からも、当時の社会的トレンドを最前線で感じていた人々の熱が伝わって来たが、逆にこうして時系列で提示されると、この日本における前インターネット時代に、すでにデジタルハリウッドの概念的な原型が誕生していることに驚く。
しかも幾つかのエピソードの中でも触れられているように、専門スクールから始まり大学院と大学の設立へというようにデジタルハリウッドの社会的存在自体が大きく変わっていったにも拘わらず、その本質というか芯にあるモノが一貫していることにも少々驚かされた。
それはやはり、「デジタルハリウッド」という杉山学長のビジョンが当初から一貫していたからこそだと思える。やはり重要なのは、未来をどう創っていくかというビジョンであり、それをどう形にするかというコンセプトである。
楢木野さんは自らの発表を「思い出話」と仰っていたが、未来を創っていくデジタルハリウッドという場所を生み出すために一番大事だったのは何か、それを改めて認識させられる「再確認」のレポートだったと言える。
「「情報編集」の15年を振り返って」 福岡 俊弘
本年度末で学部の教員を定年退官し、来年度は特例として大学院の教員となることに決まった福岡教授は、過去15年にわたる学部での教員生活を振り返った報告をされた。
1990年代、日本におけるインターネット文化の勃興期をリアルタイムに過ごした世代であれば知らぬ者のいない雑誌『EYE・COM』と、その後の『週刊アスキー』を通じて20年間にわたって編集長という職務を経験し、また過去15年近くを同時にデジタルハリウッド大学の教員として過ごしてこられた福岡教授は、つまり「プロフェッショナルな編集者としての若手の指導」と、教員としての「学生向けの編集講座」をパラレルに進めてこられたという、希有な経歴の持ち主である。同じジャンルであっても職業訓練とアカデミックな視点での教育は全く異なるものだ。
その福岡教授が、「編集という視点」から見た社会の大きなターニングポイントとして最初に挙げたのが「Google」の登場だ。インターネットと検索エンジンの一般化によって、情報を得るために費やす時間が圧倒的に短くなり、人々は情報が手元に揃うのを「待つ」必要が無くなった。また逆に、検索によって得られない情報は「存在していない」のと同じという状況が生まれ、それは同時に情報を扱うことの意味性や価値を激変させたのだという。そして、それ以降の社会で「情報」は、編集された文脈や暗黙知の階層(ディレクトリ)に則って提供される「知識」ではなく、断片的かつ単体で表層に現れるものとなったという話には、私も「なるほど!」と手を打った。
さすがに編集という分野において定点観測というか、長く携わってきた方ならではの視点が実に興味深い。
当然、それに合わせて福岡教授の行う講義の内容も変化した訳であるが、福岡教授はさらにYouTuberそしてVtuberをはじめとしたCGM(コンシューマージェネレーテッドメディア)の台頭以降を「誰でも編集が出来るようになった時代」と読み替える。その、誰もが編集できるようになった=つまり「在野の編集力が拡大」した時代において、職業上の技能では無く、「編集という知的活動の思考スキル」を学生達に伝えていこうとした福岡教授の講義は、偶然にもインターネットの実世界侵蝕というエポックに遭遇した過去15年間の学生達にとって大きな支えとなったことと感じた。
来年度以降、大学院において福岡教授が「編集という視点のアカデミア」をどのように発展させて学生達に伝えていくのか、非常に楽しみである。
「日本の若い世代がもつリカレント教育への認識についての考察」 渡辺 パコ
渡辺教授は昨年に引き続き、教育分野への知見に関する研究ノートを発表された。ここでのキーワードは「リカレント教育」であり、それは「社会に出てからも学んで仕事の能力を高めることの価値」についての考察である。
渡辺教授は、リアルタイムで教育の現場にいる指導者ならではの視点で、ひょっとすると若手世代に「学ぶことの価値」が理解されていないのでは無いか? という疑問から推論をスタートする。そこで渡辺教授は、「若年層においては学ぶことへの関心が薄いのでは無いか?」、また「学習対象も英語や資格取得など実利的な事柄にフォーカスされているのでは無いか?」、そして「就業後に必要になっていくポータブルスキルを意識していないのでは無いか?」という仮説を立て、実際にアンケート調査を行われたそうだ。
その調査結果によると、みな学ぶことが重要だという認識はあるが(渡辺教授の言葉を私なりに咀嚼して捉えると)表層的でリアリティが低い。また学習対象については、各種の資格取得とIT系にフォーカスしており、しかもその要求レベルは低い。そして、一部の人を除きポータブルスキルへの注目度は低い、という結果になったという。
その詳細は研究紀要から読み取って頂くとして、個人的には渡辺教授が「ポータブルスキル」に対する若年層の認識を重視していることに注目したい。かつての終身雇用の時代から、転職が当たり前の時代になり、いまでは更に、生涯を通じて多彩な職種業種を変遷していくことも一般的になりつつある現在、ポータブルスキル=つまり「あらゆる業種職種に共通して、ビジネスに関わる上で普遍的に共通して必要になるもの」は、これからの社会で働いてく上で必須の概念であると思われる。終身雇用の時代であれば、その会社の業務内容に精通すれば一生それで不足無く過ごして行けた訳であるが、転職(というか雇用の流動性)が当たり前の時代になると、ある特定の会社の中では無く、「業界全体」に対しての知識や判断力が求められるようになった訳であるし、さらに今後は「個の問題解決力、業務遂行能力」を支えるポータブルスキルの拡充が「個の責任において」求められていくようになるだろう。
つまり自分自身のスキルを伸ばすためには、昔ながらのOJT(On the Job Training)に頼っている訳には行かない時代だ。学びの当事者である若者達に、「何を学ぶべきか?」の具体性を持たせること、そして、学びが収入と仕事のやりがいに直結していることをしっかりと認識して貰うことが必要になってくる。それらの点からも、特にポータブルスキルにフォーカスした「リカレント教育」というテーマについて深掘りしていくことは、デジタルハリウッド大学にとって今後ますます重要な取り組みになると感じられた。
「成人の栄養課題と解決のためのワークショッププログラムの実施」 髙橋 佳代子
現役の社会人院生である髙橋さんは、「食事摂取における気づきと言語化」というユニークなテーマでの研究に関する報告を行った。
このテーマは髙橋さんの『社員食堂』を舞台とした実務経験の中から生まれたものだそうであるが、大抵の人にとっては栄養学的に何を食べたらいいか分からない、また、嗜好として食べたいモノと健康的に食べると良いモノの一致具合(または乖離具合)が分からないというのは、言われてみるとなるほどである。自分自身の食生活を振り返ってみても、正直に言って食事内容を論理的定量的に考えたことなどほとんど無いし、せいぜいダイエットに取り組んだ時期に一日の総摂取カロリーを気にしていたという程度が個人的な経験値の全てだと言っていい。確かに髙橋さんのいう通り、食べたいと思うモノと栄養学的に食べた方が良いモノの乖離は、自分では中々把握できないのだ。
元々、栄養士としての研鑽を積んだ経験を持つ髙橋さんは、人の「取るべき栄養」が厚生労働省の栄養基準表などによって数十年前から定量化されているにも拘わらず、一般の人にはその内容や重要性がほとんど周知されていないことに気が付く。そこで誰にでも分かる基準を示す必要性を感じたのだそうであるが、髙橋さんの姿勢において秀逸なのは「栄養を取るために食べるべきモノ」と「嬉しさを感じるために食べるモノ」の両方が人には必要であると捉えているところだろう。なるほど、言われてみれば食事はメディアであり、食べることもエンターテイメントである。この髙橋さんの視点には、実に「デジタルハリウッドっぽさ」を感じてしまった。
もう一つ注目すべきポイントは、髙橋さんの調査の中では健康に気を遣うべき「働き盛りの世代」が、必須ビタミンを始めとして栄養バランスを整える根幹となる「野菜」を摂取できていないということだ。ここで髙橋さんは、栄養という目に見えないものにフォーカスして、人々に自主的に食事内容を改善してもらうには「食生活を可視化する」ことが必要なのでは無いかと気づく。野菜不足自体の原因は単なる趣味嗜好では無く就労者の食事環境の問題や時代性によるものでもあるために、一朝一夕には改善できないだろうが、食生活の可視化によって「食べる側」に問題意識が生じるようになれば、一気に解決に近づくだろう。
更にその上で、単に食べるべきモノのToDoリストを並べるのでは無く、食べるコトについて「考える基準」を提供していこうと試みている髙橋さんの視点は非常にユニークで斬新だ。食事というコミュニケーションにおける、今後の「食のパターンランゲージ」構築と「考える食堂コンセプト」の確立に大きく期待したい。
「COVID-19下に於けるオンラインビデオを使った自己学習とグループ学習」 藤井 政登
ベテランのプロデューサー、エンジニアにして現役院生である藤井さんは、自らが大学院に入学してからの自己学習について、映像によるアダプティブラーニングやビデオ会議を使ったオンライングループ学習などによって自主的率先的に拡張していくことで、(特にCOVID-19下による制約の中での)自らの学習進捗におけるウィークポイントを解消し、円滑に学習を進めることが出来たという取り組みについて報告を行った。
藤井さんは特に最新のGit(分散型のソースコード管理システム)とTableau(データ分析、視覚化プラットフォーム)について知見を高めたかったとのことなのだが、そこで明確なゴールを設定し、何を習得すべきかのリストを作成し、学習を円滑に進めるための仲間を募り、結果を評価しながら学習を進めるという、実にロジカルな藤井さんの取り組み姿勢には眼を見張らされる。自分の求める知識を得るために学習ビデオを何時間分見ることになるかを積算し、効率を高めるためにそのビデオを1.5倍速から2倍速で再生しながら学習する。そして、「一人ではモチベーションの維持が難しい」と考えて、同じ分野の学習仲間をSNS等で募って共同学習の場を創っていくなど、さすがエンジニア畑の方という感じの取り組みである。
特に、学習の「内容」や教材やメディアの選定だけでなく、自らの「学習方法」と「ゴール設定や評価」についての分析が秀逸であると感じたが、こうした藤井さんの方法論は広く一般化できる下地を持っていると感じられた。
藤井さんはあくまでも院生として、つまり「学ぶ側の取り組み」という観点で今回の自己体験について報告を行われたが、この内容には実は教員側「教える側」にとっても参考になる、貴重な知見が多々含まれているのでは無いだろうか?
今後のwithコロナ社会がどう変遷するかは予測できないが、オンラインによる学習やビジネスコラボレーションへの需要はますます増え続けると考えられる。そうした中で、今後、藤井さんの自主的な取り組みが一つのモデルとして、大学院全体での学習メソッド向上に貢献していくことになれば素晴らしいと感じた。
「「玉城町子ども宇宙プロジェクト」実施報告」 徳永 修
デジタルハリウッド大学の学部の徳永教授が発表したのは、デジタルハリウッド大学と三重県玉城町が共同で実施した「玉城町子ども 宇宙プロジェクト」についての報告である。
これは、デジタルハリウッド大学と地方の小学校とを結んだ遠隔授業を行うと共に、その成果物の一つとして制作したモザイクアートを国際宇宙ステーションに(物理的に持ち込んで)公開したというユニークなプロジェクトであり、子供達の創造性、リモート学習環境、電子媒体、宇宙というテーマなど、様々な要素を組み合わせて独自性の高い取り組みを実現したところに、実にデジタルハリウッドらしさを感じるものだった。
「コミュニケーション教育におけるVR教材の効果的活用に向けて」 山崎 敦子
デジタルハリウッド大学大学院の山崎特命教授は、英会話スキルの育成においてVR技術が大きな力を発揮することを社会実験を通じて実証してみせた。
もちろん昨今のメタバースに関する話題の高まりなど、VR技術が今後様々な分野において活用されていく可能性は言を俟たないが、コミュニケーションの臨場感こそ、ライブの「会話」においてもっとも必要とされる要素だ。その点でも、不動産やエンターテイメントでは無いVR、メタバースの用途として言語習得が大きな市場になることを納得できる報告だったといえる。
その他にも、スタッフ側(入試広報グループ マネージャー)の小勝 健一さんによる「続・ポストコロナ時代のオープンキャンパス」と題したCOVID-19影響下でのオープンキャンバス開催についての取り組み報告、大学院の鈴木 由信特任助教による「プラグレスシステムを応用したインスタレーション」という、電力システムから独立したインスタレーションの制作というユニークなアート、「演奏工学」というテーマでの博士号取得を目指している加茂 文吉特任助教による「アバターとアイトラッキングによるライブ演奏システムの考案」など、独創的でユニークな発表を多数みることが出来た。
もちろん、時間の都合等で当日のライブプレゼンテーションが無かったものも多数あり、その他の多彩な研究内容については、公開されている『DHU JOURNAL Vol.09 2022』を是非とも参照頂きたい。
きっと興味を惹かれるテーマを見つけられると共に、デジタルハリウッド大学の懐の広さと人材の多様さに、高い将来性を感じられることと思う。
(KH記)