デジタルハリウッド大学 研究紀要『DHU JOURNAL Vol.11 2024』研究紀要論文発表会(2024年12月14日開催)参加レポート
はじめに
2024年12月14日の午後に、2024年度のデジタルハリウッド大学の研究紀要発表会が駿河台キャンパスで開催された。司会進行は大学院研究科長の木原民雄教授と、今回から研究紀要の編集幹事を担当されることになった山崎敦子特命教授の両名である。選抜された研究紀要の著者による発表に対して、大学の学生、大学院の院生、卒業生、修了生、教職員、外部からの聴講の方々により、活発な討議が行われた。
さておき、研究紀要『DHU JOURNAL』の刊行もついに11年目である。この研究紀要の特徴的なところは、一般的な大学発行の「論文集」のように、単に学内で発表された論文を掻き集めたのではないと言うことだ。しかも、掲載候補として検討し始める時点から数えると、この研究紀要への掲載率は5割程度に過ぎないという話なので、それなりに狭き門である。論文の書き方を教える専門科目の配置や、外部の有識者による査読体制や、編集チームがディスカッションを繰り返して論文や研究ノートや報告等の質を高めていく仕組みによって、年間の研究活動の集大成として研究紀要をまとめていくというコンセプトを10年以上も続けているというのは、木原教授や山崎特命教授も口にされていた通り、他の大学でもなかなかみられない取り組みだと言えるだろう。
加えて、昨年度から英語による研究紀要のインターナショナル版が併せて発行されるようになったことも山崎敦子特命教授のご尽力の賜物と聞いている。なんだかんだ言っても学術論文の主たる舞台は英語である。これは日本に限らず、著者がどこの国や文化に属していても、全世界に読んで欲しい論文はみな英語で書く、もしくは英訳も公開するのが当たり前だ。むしろ英文で無ければ引用元として探してすら貰えない。山崎敦子特命教授が担当されている英文で論文を書くための特別講義も、ますます重要度を増していくことだろうと思える。実際に受講されていた院生の福永氏が、英語論文を書けるようになったことで、「世界に発信できる。世界が広がった気がする」と発表の最中に仰っていたが、それは「気がする」では無く、紛れもない事実だと思う。
ちなみに論文等の執筆者自身による当日の発表は5件だったが、研究紀要本体にはその数倍の論文、研究ノート、報告等が掲載されている。ユニークな着眼点に感心したり、何度も読み返してみたくなる内容も多いので、是非とも全体に目を通していただきたい。
特別寄稿で杉山知之学長が述べておられる通り、いま世界は『The Great Transition』の真っ只中に巻き込まれている状況と言えるだろう。昨年は概念すら知られていなかったものが、今年は大勢に利用されていて、来年は全く異なるモノが覇権を握っているかもしれない。そんな時代にこそ、デジタルハリウッド大学のアプローチが新しいサムシングを生み出す可能性は限りなく高いと感じるのである。新しいモノゴトへのチャレンジに繋がる研究の価値は、派手さや受けの良さで決まるものでは無く、ぱっと見では目立たない小さな萌芽に気が付いているかどうか、というところから始まる。その萌芽の一部を垣間見ることが出来るという意味でも、この研究紀要に目を通す意義は大きいと思うのだ。大学院の藤井直敬卓越教授も、特別寄稿の中で「たくさん挑戦した人にしか持てない引き出しが失敗だ」という主旨のことを仰っているが、まさにその通りだと思うし、デジタルハリウッド大学という特異点のごとき学術機関にあって、チャレンジを行わないのは勿体なさ過ぎる。そうしたユニークで価値あるチャレンジのカタログとも言えるのが、この『DHU JOURNAL』なのだと書き添えておきたい。
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【論文】日本コンテンツの海外市場におけるシェア推計とその成長戦略への考察
森 祐治|デジタルハリウッド大学大学院 教授
ひとつ目の発表は森教授による国産コンテンツ産業に関する考察である。Cool Japanという掛け声の下、官民揃って国産コンテンツの市場を大幅に拡大するという姿勢は良いのだが、では、その対象となる全体の市場規模や現時点のシェアと言った、スタート地点がしっかりと理解されているのかというと、その認識自体が実はあやふやなのでは無いかという気づきから森教授の考察は始まっている。
しかも、国策と言いつつも具体的に市場を拡大させるための手法や必要条件は示されていないと言う。しかしながら、ビジネス目線では数字による定量的な評価と、それに基づく戦略が不可欠だ。そこで、森教授は、頼りになる数字を得るために、自分自身で市場規模を推計しようと調査を始めたと言う。
推計内容の詳細や個々の数値については論文に目を通して頂くとして、新たに推計を行った結果、実際のシェアは政府による推計よりも低いと考えられることが分かった。もちろん、現状が低いから駄目だという訳でも無いが、逆に言語の壁などを無視して、「現状が低いならば、まだまだ伸びしろがある」と単純に解釈することも危険だと森教授は警鐘を鳴らす。
国際的な映像コンテンツ市場における言語、民族、文化等の壁は依然として高く、これまでのように「海外のチャネルに権利が売れたらそれで完了」という姿勢のままでは、リブート版クールジャパン提言で示されているような大幅なシェア拡大は難しそうに思える。言語の壁を乗り越えることについては、自動翻訳や配信サービスの拡大等、テクノロジーの発達で楽になってきていると言えるが、直近で問題がすべて解決される訳でも無い。
クールジャパンというお題目に乗っていれば「何もせずに海外シェアが伸びるほど甘い市場ではない」ということを制作者や権利者がしっかりと認識し、自らアクティブに海外市場でのマーケティングに取り組んでいくことが必要なのでは無いだろうか。
森教授の求める着地点は、「海外でのシェアを高めるためにどのような戦略・戦術が必要か」をしっかりした数字を基盤にして考えることだろう。今後は、この推計に創発されてさらに踏み込んだ分析や具体的な手法論の検討を始める方も多いと思う。
個人的にも、商用映像コンテンツの制作と流通に関わる方々には、必ず研究紀要の論文に目を通して頂きたい発表だと感じた。
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【研究ノート】Effective Leadership in Virtual Teams
福永壽美子|デジタルハリウッド大学大学院
<この研究ノートの掲載は国際版のみとなっていることに留意されたい>
社会人大学院生である福永氏の発表は、『バーチャルチームにおける効果的なリーダーシップ』である。研究者/コンサルタントとして豊富な経験を持つ福永氏は、社会状況の変化を契機とした自身の3年間に及ぶ完全なフルリーモートワークの実践を通じて、解決すべき様々な課題に直面したという。
その中で、オンラインコミュニケーションを主軸とした「バーチャルチーム」へのマネージメントスキームの必要性を痛感して検討を始めるのだが、福永氏がユニークなのは、オンライン対戦ゲームのチームに対してのグループインタビューや、実際のゲーム対戦中の会話や行動の分析を行っていることだ。ビジネスを軍事活動に置き換えて表現したり検討するのは昔から普遍的に行われていることではあるけれど、コミュニケーションはオンラインのみという制約が入ってくると、旧来の組織論では噛み合わない事柄が頻出するだろう。次々と変化する状況にチームで立ち向かい、最適解を求めて迅速に行動していくという点において、ビジネス現場とチーム対戦型オンラインゲームの共通点は意外に多いのかもしれない。
もちろん、福永氏自身が指摘している通り、流動的な人員編成で短期的な目標達成に重きを置く対戦ゲームと、目標が長期的で人員や資源の流動性が低いビジネス環境で同じアプローチがそのまま通用するはずは無いが、逆に言えば、企業の長期的なビジョンも日々の微細な意志決定とアクションの積み重ねによって成立していくわけであり、迅速に動けるチームをリファレンスにするのは理に適っていると思う。
その分析内容については研究紀要を読んで頂きたいが、個人的に大きく共感したのは、時間感覚(これは投げかけられたコミュニケーションに対するレスポンスタイムのことだ)を摺り合わせられないメンバーとの協働が心理的に大きな負荷を生むことや、ユーモアを活用することでメンバーに心理的な安全性(チームに所属する安心感)を与えることの重要性についてだった。実際、メンバー交代が容易なゲームのチーム編成と較べて、ビジネスでは人材の流動性が非常に低い上に、各人のスキルより立場が重視されるケースも多いだろうと思える。特にバーチャルチームでは、相手の状況を理解・察知しにくく、信頼関係の構築やプロトコルの共有が難しいという事実は、意外と見過ごされている。あるいは、口先だけで諳んじられているケースも多いのでは無いだろうか。
ともあれ、迅速なコミュニケーション体制を持つことが企業にとって有用なのは間違いない訳で、福永氏が企業内では無く、対戦ゲームというジャンルから新たな知見を得ようとしたことは、実に優れた目の付け所だと感じられた発表だった。
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【報告】デジタルハリウッド大学における退学率10%減の施策報告
伊藤 真弓|デジタルハリウッド大学 学部運営グループ マネージャー
学部運営グループのマネージャーである伊藤氏からの報告は、様々な取り組みによってデジタルハリウッド大学の学部生の退学率を直近で10%も削減できたという驚くべき成果についてだった。どこの大学でも学生側の事情で退学するケースは一定数あるものだし、社会状況や経済状況などの外部環境の大きな変化がある場合を除いて、その退学率はさほど変動しないモノのように思える。言い替えると、デジタルハリウッド大学に限らず、改善が難しい事柄だと言っても差し支えないだろう。
しかし、伊藤氏と事務局チームは、「大学のシステムやルールの変更を厭わず、学生の声を聞いて、良い環境を作っていく」という思想のもとに、運営土台の建て直しに真っ向から挑戦した。ちなみに、従来は初年度出席不振の学生に集中的な個別対応を行っていたが、途中からもっと学生全体、根本的な学習環境に対して働きかけた方が良いのではないかと気づき、その視点で大小様々な試みを実施したそうだ。
発表を聞いた印象としては、以前から行われていた退学防止を目指した取り組みは、恐らく多くの教育機関で普遍的に行われていることであり、「退学させない」ためのアクションだったと言えるだろう。それに対して、伊藤氏のチームが主導した学生ポータルサイトの導入や学生行事への支援といった新しい取り組みは、従来の概念では「退学防止・退学率低減」という枠組には入らないものでは無いかと感じる。つまり「退学させない」ための施策から、より広い視野から学生達の心情に踏み込み、「退学したくない=居続けたい環境作り」へと大きく舵を切った訳だ。
言葉にすればシンプルだし、ごく当たり前のことのように感じるかもしれないが、学生の満足度を向上させるには何が必要かを調査、検討し、実際に改善していく行動には大変な労力や気配り、検討が必要だっただろうと推察できる。そして、学生の活躍機会を増やして露出する取り組み等が、現実に退学率の低下として実を結んだ結果を見て、伊藤氏が冒頭で述べた「学生の言葉を聞く」という言葉の真意が腑に落ちた思いだ。
また、個人的に伊藤氏の発表の中で特に印象に残ったのが、学生に向けて『「挑戦してみろ」と言う言葉は良く聞くが、「でも失敗しないで」というカッコ書きが付いているような気がする。デジタルハリウッド大学は失敗してもいい場所にしたい』という主旨の発言だった。個人的にも、現在、日本の若者がおかれている状況の中でもっとも不憫なことが、「失敗を許さない社会」だと考えている私としては、これには激しく同意したい。研究紀要の報告に書かれている通り、「失敗を恐れず挑戦できる環境を学生に提供し、この大学でよかったと思う学生を一人でも増やしていきたい」という揺るぎないコンセプトで就学環境改善に取り組む伊藤氏らの活動が、デジタルハリウッド大学を選んだ学生達と、これから入学してくる学生たちのために、今後もたゆまず続けられていくことを願ってやまない。
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【報告】DHUにおける約束と信頼に基づく学費支援策による学生定着と卒業率向上
金野 秀彦|デジタルハリウッド大学 事務局 学費・奨学金担当
事務局で学費関係を担当されている金野氏の発表は、先の伊藤氏と同様に卒業率を向上させる取り組みなのだが、こちらはズバリ、学業に掛かる費用の問題に取り組んだ「学費支援策」である。
発表内で触れられていたが、金野氏らが対策に取り組み始める2012年までは、デジタルハリウッド大学での「卒業できない学生」の比率は非常に高かったそうだ。それも他大学と比較して相当なレベルで、である。
そこで、金野氏は中退した学生の傾向を分析し、必ずしも修学意欲が低下した訳では無く、卒業できた学生と同等の成績を維持していながらも、経済的な理由によって中退した学生達が多数存在することに注目する。金野氏が注目したグループは、「勉強が嫌になったから中退する」とか「他のことがしたくなったから転学する」のではなく、「勉強する意欲と能力はあるのに、何らかの事情で経済的に厳しい」という学生達だ。そして、この「経済的理由による中退群」の学生の多くが、無事に卒業した学生達と重なる成績を残していたことが、解決策や可能性を見出す重要なポイントとなったそうである。
金野氏は、これらの学生達が「経済的困難に対する適切な支援や準備さえ整っていれば、卒業できた可能性が高い」と推測し、その対応方法を考察する。学生側の目線に立てば、卒業の可能性が見えないと学費を払わなくなるのは当然とも言えるし、スタッフ側にも中退・除籍の原因が学費だった場合、「致し方ない」といった諦めがあったそうだが、ここが盲点では無いかと気付いた金野氏は、この諦観が「学校と学生、さらには学費支弁者との間に十分な約束や信頼を築けなかったから生じたもの」だと考え、学生と大学の間で「約束と信頼」を基盤とする学費支援策を打ち出す。
そのプロセスの詳細や、コンセプトである「約束と信頼」の定義は研究紀要を読んで頂くとして、「数字に出来ないことの約束は守ることも守らせることも難しい」という事実は、金野氏の言う通りだろう。
ともあれ、様々な支援策を実行した結果、学費問題による中退は約半減したと言うのである。正直、これは著しい成果だと思う。金野氏の「学生は修得単位数や学習状況に問題がない限り、経済的な問題は解決できる、解決すべきだ」という信念が、実績として表れたと言っても差し支えないだろう。
蛇足ではあるが、卒業率向上に向けたスタッフ側の取り組みである伊藤氏と金野氏の報告が「研究紀要」に掲載されている事こそ、高等教育機関としてのデジタルハリウッド大学の素晴らしさだと感じたことを付記しておきたい。他の大学でも当然ながら学業支援の取り組みは色々と行っているのだろうが、それらの具体的な内容が表に出てくることはまず無いと言っていい。ほとんどの大学において学校運営に関する諸々はサポート業務であって、なんと言うか、、、研究教育活動の一環では無いと認識されているからだ。
しかしながら、大学を大学たらしめている学生達の意欲向上と学習環境全体の改善を図らずして、どんな成果が期待できよう。最先端のサイエンスに関する話題と、学生の心情に寄り添う取り組みが同列に扱われるデジタルハリウッドの文化を、この先も変わらず育てていって欲しいと切に思う。
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【報告】デジタルハリウッド大学大学院セミナーシリーズ「AI Bricolage Session」実施報告
福岡 俊弘|デジタルハリウッド大学大学院 特命教授
福岡特命教授の主催した「AI Bricolage Session」は、2024年度に5回に渡って行われた連続セミナーシリーズであり、AIをどう捉えるか、人間にとってAIはどんな意味を持つのかについて、様々な分野の専門家をゲストに招いて対談を行っている。その内容はAIにまつわる技術から哲学、倫理まで、非常に幅広く、かつ深いものであり、とても10分や20分の発表で伝えきれるモノでは無いので、ここでの発表内容はあくまでも実施の報告と、福岡特命教授自身が対談中に印象を受けたゲストコメントなどの紹介である。
その中で、福岡特命教授は、第5回のゲストである武邑光裕氏がコメントした、「AIに意志決定を委ねるようになって人間が考える力を失うかもしれない」、しかし、「人間が知性を行使する限りにおいては、生成AIは存在する意味がある」という視点を紹介されていたが、こうした卓越した思索がポロリと出てくるところも、ライブセッションならではの、面白く、かつ意味深いところだろう。
ともあれ、5回に渡る対談内容全体をここで単純に要約してしまってはセッションの本質を見失うことになりかねないと思われるし、研究紀要に掲載された報告内には各セッションの記録映像のURL等も記載されているので、どのようなカタチであれAIに関わっている方々には、是非とも研究紀要と記録映像に目を通して欲しいと思う。
そして個人的にも、これらのセッションで福岡特命教授が得た知見やパースペクティブから、どのような「ブリコラージュ」が生まれ出てくるのか、次の展開が非常に楽しみでもある。
また、研究紀要には書かれていないのだが、開催の後日談として福岡教授は生成AIを使って編集機能を作り上げ、この5回のセッションの内容をAIにまとめさせるという事を試みているが、その結果、いや成果と言うべきか、は驚くべきモノだ。
長きに渡って週刊アスキー等の編集長を務めてきた福岡特命教授ならではの視座が存分に生かされた「AIとの付き合い方」は、どのような答えを導き出すのか、今後、このセッションで得られた広く深い知見を今後どのように拡張させていくのかと、いまから次の展開が楽しみで仕方が無い発表内容だった。
2025年度は、「クリエイターと生成AI」をテーマに連続セッションを開催したいと考えておられるそうなので、さらなる思索の発展が行われることを大いに期待したい。
(KH記)
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